地震の時、水戸北部に居ました。
最初は直ぐ収まるだろうと軽く考えたが大間違い。デスクの下に潜り込むも、このまま事務所が崩落するのではないか、このまま世の中が終わるのではないか、と頭によぎるほどの強く長い揺れに翻弄されました。やっと揺れが収まると事務所内は足の踏み場が無いほどすべての机の上の書類・PC・モニターなどは床に散乱し、書棚は倒れ、引き出しも床に散乱。とにかく、外へ出ろ、と避難場所に選定されている駐車場へ。
ラップトップをかばんに入れて出ようとすると、車のキーが無いことに気付き、自分のデスクに戻ったが見つからない・・・・・・。長居は不可能ゆえに諦めて駐車場へ。
人員の点呼を行い全員の無事を確認。余震多数に顔面蒼白。頭をよぎるのは家に残した家族はどうなっているのか、と言うこと。しかし携帯は繋がらない・・・・・
次には、今日から年度末までの出荷は不可能、つまり今期は赤字か????
全員の安全を確認して撤収を宣言。それぞれが自宅に帰りつけるのか全くアイデアが無いままにクルマを走らせて岐路に。私を含めて単身赴任の数人の数人が駐車場でスタンバイしながらクルマのラジオ・テレビで状況確認。
諦めずに数十回メール・ショートメールを出していると繋がる事例が散見される。調布の留守宅で食器棚・テレビなど散乱したが家族は無事との情報も。
私もショートメールで妻と連絡がつき無事を確認、胸をなでおろす。
外も真っ暗になり、広い駐車場に車が数台になったところで、このままここで夜を明かすよりは単身寮に戻って体制を立て直そうと結論を出し、帰路についたが国道は大渋滞。7キロくらい先の橋でトラブルが起こっているのか??後輩が1時間ほど前に帰った同僚に何とか携帯をつなげて情報収集。結果、Uターンして田んぼの中の道を走り別の橋に向かい何とか寮に到着。
周囲は完全停電で信号も一切点いていない。寮の部屋に入ったが、未だ引っ越したばかりで37インチの液晶テレビが台の上で立っていたのにはビックリ!!当然、落ちて壊れていると思ったが・・・・。でも、停電なので壊れていないことの検証は出来ない。暖房もゼロで真っ暗な部屋。灯りになるのは、2台持っている携帯電話の液晶画面のみ。水も出ない。食べ物は焼き鳥の缶詰が2個と煎餅が一袋、ラッキーなことに水・お茶は少し冷蔵庫に入っている。
とにかく、着の身着のままでベッドに入る。しかし余震はひっきりなしに続く。単身寮は2000年に完成した5階建てのマンションだから多分大丈夫だろうと諦めの境地で横になるが、眠れる状態ではない。1時ころまでは記憶あるが、その後は疲れ果ててうとうとしたと思う。そして、4時に大きな揺れで叩き起こされる。携帯のエリアメールで長野の地震との情報。列島沈没、と言う映画のタイトルが頭に浮かぶ。それからの余震の中で眠られず周囲が明るくなってきたので、5時過ぎに駐車場に降り、ラジオで情報収集。
同じように駐車場に来ていた若い同僚と近くの避難所に行ってみようと2人で歩き始めた。近くの民家では瓦が崩れ落ちていたり、大きな亀裂が入っていたり、壁が落ちていたりと、崩壊した家は無いものの悲惨な状況が見て取れる。この近辺もかなり揺れた模様。小学校の体育館に入ると家に居られないのだろうか、2-30名の人々が毛布にくるまっている。ここにあるのは、休む場所・水・ラジオ・クラッカーとのことでクラッカーを貰って帰る。
とにかく、私は無事である。
続く・・・・・