2011年2月、9年半滞在したNYから日本に戻り新たな一歩を踏み出しました。ゴルフのスィングのみならず、Jazzのスィングも探求の旅路に出ております。旧ブログもご覧下さい。(http://blog.golfdigest.co.jp/user/teamtodos)
2014年7月20日日曜日
さようなら
7月12日早朝、母親が帰らぬ旅に出ました。元祖商社マンの一人娘として上海で生を受け、外地で幼少の頃を過ごし、息子たちを育て上げてからは父親の仕事でエジプトにも住んだりと年齢の割にはモダンな人生を過ごしたのかもしれません。
それが影響したのか、好奇心旺盛なスーパーエレクトリックばあちゃんであったことも想い出の一つ。ずっと携帯絵文字メールで連絡してきたし、年賀状もパソコン使って住所録管理しながら印刷してたのも、家電のマニュアルを読みこなしてフル活用してたのも珍しいと思います。
昨年11月から突然病に倒れ、6ヶ月の入院生活中も前向きにリハビリなどを頑張り、喜んで退院して1ヶ月と少し、再び入院し闘病の最中に思わぬクモ膜下出血に襲われ83歳の人生を閉じました。
花に囲まれ、お経・線香とは縁のない生演奏の音楽の流れる素敵な葬儀でした。
今頃は、天国でおじいちゃん・おばあちゃんと家族3人水入らずで楽しく語り合っていることと思います。
残された89歳のオヤジを励ましながら、私もぼちぼち頑張って行きます。これからも皆さんよろしくお願いいたします。
2011年11月10日木曜日
アンケート 訪問した外国は?
フェースブックでこの数日前から海外旅行先をチェックするアンケートが行われています。
私も試しにやってみたところナント
37カ国
ざっとチェックを入れたところ訪問した国がありました。アメリカ・フランスなどなど上位の国は全部訪問してましたし、下位の方ではニカラグアにまで行った経験があります。
国名にチェックをしながらそれぞれの訪問経験を思い出してみたら何かバーチャルな世界旅行をした気分になりました。やっぱり仕事の思い出よりも、遊びの旅行や出張でも時間外(笑)の思い出が頭を過ぎりました。
しかし考えたら転職してからの11年間は一つも増えてません・・・・・
私って異常????
2011年1月2日日曜日
若大将
前の記事の正解は永遠の若大将 加山雄三さんです♪
数年前にカーネギーホールでコンサートを行った際にニューヨーク日本クラブで開催されたパーティーでの写真をアップします。
加山さんと言えば若大将シリーズの田沼雄一役でスポーツ万能の青年を演じていて、私たちの印象では背の高いイメージですが、実は芸能人によくある事ですが背の高さはそれほどではないことにビックリしました。
その証拠写真は・・・・・・次のページを
2010年11月23日火曜日
Nっころ
某クルマメーカーさんが、2011年のカレンダーを持ってきてくれた。某ってたってこれじゃマルわかりですけどね(笑)
Civic が無くなっちゃう状態ですので、この2011年カレンダーもメインは旧車がテーマ。若い方は知らないかも知れませんが、これはHONDA N360。実はTODOSの最初のマイカーなんですね♪
大学に入学して、早速免許を取りに行きました。どうも最近の若い人は免許すら不要と思っている人も多いらしく、これじゃあクルマも売れないですねぇ・・・・。当時大学の近くの自動車学校は隣にゴルフ練習場を併設して経営していて、早熟なTODOSは当時も既にそれなりの腕だったので、練習場で自動車学校の先生に「無料」でレッスンして、その代わりに教習予約に結構便宜を図ってもらったものでした。(もう時効だから良いですよね。)最低教習時間でキッチリ卒業できたのはTODOSが真面目に運転を勉強したからで、そこには便宜を図ってもらっておりませんので念のため。
そして、最初に購入したのが、このN360の中古車でした。今でも覚えていますが、当時の流行の色で、黄色と茶色の中間みたいなN360が中古屋さんにあって、それを交渉して、バンパーからすべて真っ白に全塗装してもらって8万円でした。それもSタイプでSolexのツインキャブだったんですからね♪
当然、キャディーバッグは小さなトランクには入りません。ウッド、と言っても当時は43インチ以下でしたけど、を全部抜いて押し込んでました。このあたりは今のデミオ君も同じかな、アハハ。
横浜の自宅から六郷土手の朝練まで良く通いました。練習後は大学に行ったり、田園調布当たりの喫茶店でダベッたり、という典型的な大学生活だったなぁ。。。。
先輩のスカイライン2000GTと50m走だったらTODOSのN360の方が速かったり、目黒通りの歩道側の狭い車線をこのサイズのN360は縦横無尽に走れるのでスカGよりも相当早く目的地に着いたり、なかなか楽しいクルマでした。
それから何台のクルマを乗り継いだのかなぁ????
1. 中古全塗装のホンダN360
2. 会社の先輩に売りつけられた(?)Nissan チェリー
3. 中古のホンダアコード with BMW320 用のドアミラー(笑)
4. ジャカルタ駐在から帰って Ford Fiesta
5. Mitsubishi Eterna
6. イギリス時代は自宅で190E、会社ではボクソール、オペル、
ボルボS70
7. TOYOTA Vista
8. Nissan プリメーラ
9. NYでNissan Maxima、Nissan 村野クン、Toyota Camry
10.デミオ君
なんか色々乗りましたね。イギリスで個人・家族用に最終型のメルセデス190Eを買って7年無故障で乗ったのは思い出かな。
それらの最初の一歩がこのN360なんですよね♪♪
あ、因みに海外を除き、日本での新車は 3・8・10 のみです・・・・・
小型車が2台と、前の会社の退職金で買った2000ccが1台。
見かけによらず、地味なTODOSです。
2007年12月26日水曜日
大掃除の収穫♪
屋根裏の大掃除をしていたら、忘れられていた宝物が出てきました♪それが、この盾と某スポーツメーカーさんの社内報。
時は1999年7月18日、場所はロンドン郊外のレーマンウッドカントリークラブの4番ホール153ヤードPAR3。レッキンスーパー03の9番アイアンで達成した人生2度目のホールインワンの記念です。
当時ヨネックスUKさんとは非常に親しくさせて頂いておりました。快挙を記念して、ご好意でこんな盾を頂き、更に社内報にも記事を掲載して頂きました。この盾、大事に保管されていたので新品状態です♪
この記事に使っている写真は勿論ホールインワンの瞬間ではありません。これは確かウェントワースで撮影したものを使わせて頂いた記憶があります。海外駐在員は帰国直前に絶好調を迎えると言うジンクスがありますが、それが実際になったホールインワンだったと思います。
フォローウィンドの中でクラブの番手を落とし、風の影響を避けるために低いライン出しのパンチショットで攻めたのが功を奏したんですね。カップインの瞬間もバッチリ見えました♪あれからそろそろ10年が経過します。そろそろ08年か09年には3度目の正直と行きたいところですね♪
2007年10月2日火曜日
25年前の今日・・・
結婚式を挙げたTODOSでした。
自分の結婚式で弟のベースとデュオでMistyなんぞを弾き語りしてしまったのが、恥ずかしながらこの私です。。。。
この25年の間、長女・長男共に大学生となり、インドネシア・韓国・イギリス・アメリカと駐在員旅ガラス生活は終着駅も見えぬまま、走り続けて途中駅の25周年、つまり銀婚式ってやつを向かえました。
健康あってのモノダネですね。最近はさすがに疲れも出るし、時差も治りにくいし、生活習慣病に片足突っ込んでおりますが、まだキャディーバッグ担いで18ホール、やる気になれば(今年はやったぞ!!)27ホールのラウンドも出来るくらいの体力は残っています。
エージシュートを手元に引き寄せるべく頑張り続ける決意には変わりなく、カミさんも最近はプロジェクト・ピンクでゴルフの魔力に引き付けられつつあるので、楽しくプラチナ婚までやって行こうぜ、と d(^-^)ネ!
(プラチナ婚って75周年ですから、お互い100歳を越える勢いでいかなければね♪)
When I get older
Losing my hair
Many years from Now
Will you still be sending me a Valentine
Birthday greetings, a bottle of Wine
Will you still need me ?
Will you still feed me ?
When I'm Sixty Four.
まぁ、先ずはビートルズ大先生の歌のように 64歳ってのが予選通過の目標かな?それって今から10年後、つまり35周年だけど、35年は珊瑚婚式って言う語呂合わせだって知ってました??
今後とも若いGDOブロガーさん達との交流で若さとパワーを貰いたいと思っていますので宜しくお願いしますね♪♪
2006年10月17日火曜日
Oxfordshire Golf Club
前回の Beaconsfield Golf Club に続いてTODOSのイングランド・コース探訪は続きます。今度は Oxfordshire Golf Club (クリック!!)です。
日東興業がイギリス進出して造ったコース、その後彼らはターンベリーを買収したりしたのですが、残念ながら今は皆様ご存知のこととなり、このコースもアメリカ資本が経営しています。私もメンバーシップを持っていたのですが、日東興業の撤退の際に手放さざるを得ませんでした。
自然の丘に人工の池を配し、名匠リース・ジョーンズ氏が作り上げた、いわゆる インランド・リンクス と言える素晴らしいチャンピオンコースです。当時は欧州PGAツアーで Benson & Hedges と言うトーナメントを数年間開催しました。バンカーだらけのホール、池を2打目で越えるか、3打目で越えるか戦略を問われるホール、などなど一つ一つのホールが素晴らしかった。
ここは9番ホール。クラブハウスに向かって打ち上げてくるパー4です。メンバーの日英対抗をやった時に思い出になったホールです。(その時の話は別途アップします)
夏の夕暮れが9時くらいになるイングランドでは、オフィスアワーを終えて1人で良く来たものでした。もう殆ど誰もプレーしていないコースにキャディーバッグを担いで1人でラウンド。それも様子を見ながら、ホールをスキップしたり、納得行くまで何度も打ったり、自由気ままにコースを使わせて頂きました。暗くなって、待っていてくれたスパイクバーのバーテンさんにビールを一杯奢ってから、既に電気の消えたロッカールームに自分で電気を点けて入り、お風呂場の電気を点けてたった一人で大きな湯船に浸かる、そう、ここには日本式のお風呂が完備されていたんです。 ここ に写真がありますよ♪
多分、一般日本人ビジネスマンとして世界一優雅にゴルフコースと施設を使った1999年の夏だったと思います。
2階のダイニングでは数種類の日本食が食べられ、たまにはお昼だけ食べにオフィスから来たものでした。
ラウンドは適いませんでしたけど・・・・・
一番ティーで当時を思い出してシャドー・スィング♪
日東興業がイギリス進出して造ったコース、その後彼らはターンベリーを買収したりしたのですが、残念ながら今は皆様ご存知のこととなり、このコースもアメリカ資本が経営しています。私もメンバーシップを持っていたのですが、日東興業の撤退の際に手放さざるを得ませんでした。
自然の丘に人工の池を配し、名匠リース・ジョーンズ氏が作り上げた、いわゆる インランド・リンクス と言える素晴らしいチャンピオンコースです。当時は欧州PGAツアーで Benson & Hedges と言うトーナメントを数年間開催しました。バンカーだらけのホール、池を2打目で越えるか、3打目で越えるか戦略を問われるホール、などなど一つ一つのホールが素晴らしかった。
ここは9番ホール。クラブハウスに向かって打ち上げてくるパー4です。メンバーの日英対抗をやった時に思い出になったホールです。(その時の話は別途アップします)
夏の夕暮れが9時くらいになるイングランドでは、オフィスアワーを終えて1人で良く来たものでした。もう殆ど誰もプレーしていないコースにキャディーバッグを担いで1人でラウンド。それも様子を見ながら、ホールをスキップしたり、納得行くまで何度も打ったり、自由気ままにコースを使わせて頂きました。暗くなって、待っていてくれたスパイクバーのバーテンさんにビールを一杯奢ってから、既に電気の消えたロッカールームに自分で電気を点けて入り、お風呂場の電気を点けてたった一人で大きな湯船に浸かる、そう、ここには日本式のお風呂が完備されていたんです。 ここ に写真がありますよ♪
多分、一般日本人ビジネスマンとして世界一優雅にゴルフコースと施設を使った1999年の夏だったと思います。
2階のダイニングでは数種類の日本食が食べられ、たまにはお昼だけ食べにオフィスから来たものでした。
ラウンドは適いませんでしたけど・・・・・
一番ティーで当時を思い出してシャドー・スィング♪
2006年2月14日火曜日
J.J. エピソード2
このブログを始めたばかりのころの ビッグバーサにまつわるエピソード1 に続く豪快な話。。。
それは韓国ソウルのホテルで起こった・・・・・・・・・
山田 「Hello, oh J.J. what's up ? Drinking alone ? Why don't you come to my room, my old friend you also met him at Jakarta is here and we are dringkin'」
てな流暢な英語でしゃべる訳ですな。前にも言いましたが彼の英語は折り紙付き。その英語力と面倒見の良さで何年間もアジアサーキットの日本人プロのまとめ役をやっていたのです。当時、アメリカのプロのまとめ役をやっていたのが J.J. そう ジョン・ジェイコブスだったのです。で、彼らはポン友だったのですよ。
まあ、それでJ.J.が来るだろうな、と思いつつも我々のお酒はどんどん進み、1時間くらい経過したのにJ.J.が来ないことに気がついたのです。どうしたのかなぁ、と思っているとドアをノックする音が。
そこには短パン、Tシャツにビーチサンダルと言ういでたちで、右手にはウィスキーのグラスを持ち、左手には葉巻をもったJ.J.が立っていたのです。
J.J. 「Hey Guys・・・・・(ここからは日本語にしましょう)、聞いてくれよ、参ったぜ、ガッデム!!」
我々 「1時間も来ないからどうしたのかと思った」
J.J. 「どうもこうもあるか、お前の部屋と俺の部屋はエレベーターには遠いけど、丁度上と下の関係じゃないか、で非常階段には近い。だからさ、俺はこの格好であの電話のあと直ぐに部屋を出てショートカットで非常階段に出た訳だよ」
我々 「で?」
J.J. 「階段でこの階まで来たけど今度は入れない訳よ。別の階でも入れない。がたがたやってたらホテルのヤツらが警察を呼んだらしいんだ。来やがったぜ韓国のポリが」
我々 「・・・・・・・」
J.J. 「大体言葉がよく分からないんだけど、泥棒じゃないかって疑っている訳よ。考えてもみろよ、この格好でウィスキーと葉巻持って泥棒する訳無いだろうが・・・」
とっても早口にアメリカ人特有のおしゃべり。その後で例のビッグバーサの話にもなった訳。まあ、盛り上がったプライベート・パーティーでしたよ。
しかし、ナンカ今ひとつ作り話っぽい気もするのですが、ジョーク好きなアメリカ人に免じて本当の話として今でも語り草なのです。
2006年1月28日土曜日
グロリア
このクルマが何だか知っている人は年齢が分かりますね(笑)
箱スカの日本グランプリでのポルシェとの死闘や後のR380へと続くプリンス自動車の栄光の時代。記事タイトルでばらしちゃってますけど、プリンス・グロリアです。
なんとも優美なデザインじゃありませんか、今でも通人は保存して持っていたりするのかな?後ろにスバルも見えますね。ここは名古屋の某団地、当時プリンス自動車の仕事をしていた祖父の名古屋での仮住まいに夏休み遊びに行っていた時のTODOSが向かって右の助手席に乗っています。その隣、真ん中には弟が。
そう、ベンチシートだったんですよね。当然コラムシフト。エンジンは確か2000cc。ホワイトリボンのタイヤだし。この頃です、三好・和合・東山公園などのコースにくっついて行ったのは。
またまたレトロシリーズでした。
2006年1月19日木曜日
あの時・・・第3弾
高校生時代の第1弾、大学生時代の第2弾、に続きサラリーマン生活初期、独身貴族(?・・・死語だね)時代の第3弾です。
まだ学生時代の貯金と体力が残っている時のスィングかな?それでも、徐々におとなしくなっていますよね。結構意識してべた足をやっていたような・・・
まだ使用クラブは当然パーシモンにスチールシャフト。
赤のノータックパンツが時代を感じさせますが、最近またこの手のファッションがヨーロッパから出てきていません?流行は繰り返すものですネ♪
(ちょっと重めのスィング論・レッスン論が続いたので今日は軽めに・・・・)
2006年1月14日土曜日
YAMAHAポプコン
197X年のYAMAHA主催ポピュラーソングコンテスト、通称「ポプコン」の一幕。
この左側の痩せているのが・・・・・。
うぅぅぅぅ、今の体型からはチョット想像出来ないくらい細いねぇ。
この時TODOSはミュージシャンとして将来を賭けていた(?)、と言う訳ではありませんが結構色々やっていた花の浪人時代、おいおい浪人なら勉強しろ!!って声が聞こえる、だったのです。
友人のK君がマジにプロを目指しており意気投合したTODOSは2人のデュオユニットでポプコン自作自演の部に挑戦したのです。そう、TODOSが作詞作曲した当時サイモン&ガーファンクルの明日に架ける橋なんてのが流行った後で、そんな曲想のメッセージソングを2人でハモりまくると言うユニットだったのですわ。ケミ、まっ青!!
渋谷支店の書類審査を通過した後の東京都大会での一コマです。何とここは勝ち上がり、青山青年館大ホールでの関東甲信越大会までは駒を進めたのですが、そこであえなく沈没しました。実力がそんなモノだったのでしょう。それ通過したら合歓の郷の決勝大会だったので、そうなってたらマジ人生変わっていたかも知れません。
残念ながら当時のスケジュールパンフとかの印刷物はもう引っ越しの時に無くなっていますが、今回この写真が出て来たので懐かしくて。。。。
(でもね、ゴルファーならお分かりと思いますが、TODOSは完全なゴルフウェアですよね。当時流行のL型ポケットの伸縮ポリエステル素材のベルトレス・ゴルフパンツが懐かしい方も多いのでは?)
2006年1月8日日曜日
ベンセイヤーズ パター
これは骨董品の分野ですネ。いわゆるキャッシュイン・タイプの古いパターです。ベンセイヤーズと言うブランドは後には日本の御徒町系量販店が使って余り高級感はなかったりするのですが・・・。
EAGLEと言うのがモデルの名前なのでしょうか、祖父の遺品です。細いシャフトがボア・スルーでセットアップされています。
もうちょっとクローズアップすると
RUSTLESS つまり錆びないってことが特徴として刻印されるってことは当時のパターは良く錆びたのかもしれませんね。確かにこのEAGLE君、錆びていませんネ。
そして HAND FORGED IN SCOTLAND ですので正真正銘ゴルフのメッカ・発祥の地であるスコットランドにて手造りの鍛造品なのですね。まだアメリカ製のクラブよりもスコットランドが由緒正しく評価されていたのだと思われます。
昔はTODOSもこのパターを借りてラウンドした記憶がありますが、今は飾りとして大切にとってあります。その内、壁に掛けて置きたい自慢の品です。(世間的に価値があるのかどうかは不明ですが・・・、そんなことは関係無いですもんね♪)
2006年1月6日金曜日
あの時・・・ 第2弾
これはTODOS大学生、丸子橋練習場での朝練のひとこま。
ジョニーミラー全盛期だったかな・・・。
それにしても白いベルトですよ、当時の流行は。このままの格好で朝練後は喫茶店で朝食を皆で摂ってから授業に行った(ホントか?)ものです。
しかし、いずれにしてもこういう思い切りの良い「振り切り」が最近出来なくなっているのが問題なのです。大反省です!!
2006年1月5日木曜日
あの時君は若かった
TODOS高校生!!
自宅庭ネットに向かってマット無し土の上からのショット!!
当時、ゲーリープレーヤーがTODOSのアイドルだったんだ。
サンダル履きで土の上からバランス良く振っていたし、ジュニアにありがちな頭の残り過ぎ、ポーラクリーマーと勝負出来るよ!!これは。典型的な 逆Cスィング 。クラブはマクレガーの薄っぺらいブレード、キッチリとターンオーバーしなければ捉まりゃしないさ。
この身体の柔軟性は今は面影もありません。さぁ、TODOS、どこまで取り戻せるのか???
2006年1月2日月曜日
2006年1月1日日曜日
降っている雨は・・・
新年明けましておめでとうございます。
レトロな70年前の写真ですが、右側がTODOSの祖父。彼がTODOSにゴルフなるものを教えてくれた恩人なのです。
短パンにハイソックスは格好悪い、と言うのが一般的な意見ですが、どうですか?我が祖父、TODOSは格好良いと思うナァ。
TODOSが未だ子供の頃、祖父に連れられてバス・電車を乗り継いでゴルフ場に良く行きました。良く覚えているのは朝から雨の日のこと、「雨だから止めようよ、今日は」と言う我がままTODOSに対しての祖父の言葉は、
「降っている雨は必ず止む、ワッハッハ」
でした。その通りスタートする時には雨が止んでいた。何か自然の摂理を教わった気がしました。大陸で活躍して培われた大きな思想ですね。元旦に何故か思い出しました。
TODOSは今、この当時の祖父よりも遥かに年上。頑張らねば・・・。
2005年12月27日火曜日
練習場の思い出
セピア色になってますが、カラー写真ですよ。そしてこのゴルファーは、TODOSの父 ♪今から45年以上も前の写真なのです。
もう一つ行っていた練習場はもう今は無いんじゃないかな、駒場の東大の近所にあった鳥かごでした。そこもやっぱり土だったし、両方に共通していたのは、自動ティーアップ機が無かったのは当然として、プラスティックのバスケットでもなく、木製の箱に1ダースごとにボールが詰まっていた。それを積み上げて練習していたものです。
TODOSにとっては懐かしい思い出の1ページです。
2005年11月3日木曜日
Autumn in New York
2005年10月21日金曜日
フェスティバルゴルフ
今でこそ中古ゴルフクラブの売買が当たり前になった日本ですが、多分この分野の草分けはフェスティバル・ゴルフさんなのかな?と思っています。TODOSは結構フェスティバルさんの初期のお得意さんだったんですよ♪
アメ横をウロウロしている時にふらっと入ったのが最初で当時の社長と言うか店主の田口さん(多分今の社長のお父さんだと思います)には随分お世話になりました。まだ名刺も準備出来てなくて、厚紙にハンコで押した手作りの田口さんの名刺を大事に持ってました。
自分のクラブも、会社の同僚や後輩のクラブも田口さんのところで買いました。それが今や一大産業となって、何とアメリカでも中古専門店は無いものの大型ショップには中古コーナーが出来ているんですよ。勿論 e-Bay が売買の中心かも知れませんが・・・。
ある時にフェスティバルに行ったら初代社長がお亡くなりになったと聞きましたが、その後大きく発展され業界をリードしておられるのを目にして嬉しく思っています。
アメ横をウロウロしている時にふらっと入ったのが最初で当時の社長と言うか店主の田口さん(多分今の社長のお父さんだと思います)には随分お世話になりました。まだ名刺も準備出来てなくて、厚紙にハンコで押した手作りの田口さんの名刺を大事に持ってました。
自分のクラブも、会社の同僚や後輩のクラブも田口さんのところで買いました。それが今や一大産業となって、何とアメリカでも中古専門店は無いものの大型ショップには中古コーナーが出来ているんですよ。勿論 e-Bay が売買の中心かも知れませんが・・・。
ある時にフェスティバルに行ったら初代社長がお亡くなりになったと聞きましたが、その後大きく発展され業界をリードしておられるのを目にして嬉しく思っています。
Posted by:TODOS at 2005年10月23日(日) 16:31
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